103号室

オタクです 文章を書きます

シェアハウスがしたい

 

 

 ぼくの中のシェアハウスのイメージは、主に『電気サーカス』(唐辺葉介)とザ・ノンフィクション(6/18 6/25放送・会社と家族にサヨナラ・・・ニートの先の幸せ)から主に形成されている。両方とも、健全に育ち平凡な心で順当に育った健常人間ならば拒否反応を起こしてしまいそうなものだが、ぼくはこの二つで営まれているシェアハウスがどうしても羨ましくてたまらなくなる。

 

 

 『電気サーカス』内で営まれているシェアハウスは、もう本当にどうしようもないもので、定職に就いていない若者たちが酒やドラッグ等に溺れ、自堕落な生活を送っている、というものだった。テキストサイトを通じて出会う人間たちは全員が全員どうしようもなく、有体に言えば真性のクズだった。その、ほっといたら一人で死んでしまいそうなクズたちでも、仲間と寄り集まって暮らすことで、なんとか生きていたし、それに、なんだか楽しそうだ、と作品を読んでいて感じた。シェアハウスにありがちな、やっていきの概念はそこには全くなく(メンヘラはやっていきを感じると最悪死にます)、生きていればそれでいい、というゆるいルールが、本当に心地よさそうだった。世間一般からは住人同士の共依存関係だ、メンヘラの集まりだとか言われそうですが、社会や会社に依存している人が何言っても無駄なのです。貧しくても苦しくても、ぼくはそれで楽しければいいのです。苦しくなくて楽しいのがベストですが。

 

 

 ザ・ノンフィクションで取り扱われていたシェアハウスもまた、住人たちは楽しそうだなぁ、と感じた。楽しいのが一番だと思う。社会で生きていて楽しいのであればそれでいいし、社会で生きていて苦しいのなら社会で生きていかなくてもいいんじゃないなあ。ぼくは基本的に自分が楽しければ、赤の他人からはどう言われてもどうでもいいタイプなので、放送当時Twitterに現れた物申すマンも笑いながら読んでいた。そして、そんな物申すマンのいる社会に嫌気がさしてしまった。

 

 

 ここまでシェアハウスへのイメージと厭世観をだらだらと書いていたが、要するにぼくはシェアハウスがしたいのだ。「夢に向かって一直線!今は助走期間!」みたいなシェアハウスじゃなくて、もっとどうしようもないもの。お互いが過干渉でなく、気楽に暮らせて、さらに趣味も若干合うといいなあ、程度の。「弱い者は集まっていると死ににくい」とPha氏は言っていた、そんな弱い者が寄り集まったところに行きたい。そしてなにより、シェアハウスは安くて都会に住めるので良い。人生のうち一回は、どうしようもないシェアハウスに住み、バイトでもしながら、ずるずるだらだらと暮らしていきたい。そんなんができるのも若いうちだけだろうなあ、と思う。誰か誘ったり誘われたりしてください。よろしくお願いします。

 

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